21世紀の悪の性質。 - [naku-yoru] :: DIARY
May 29, 2008

21世紀の悪の性質。

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今日のお昼から夕方まで、このブログのCSSをいじっていました。 その時間帯に訪れてくださったユーザーの皆様には、数分単位でレイアウトが変わったりしてお見苦しかったことお詫びいたします。・・・結果、本文のフォントと行間を変えただけ。ヒラギノの丸文字になりました。

古くは弘法大師から、現代ではRadioheadのギタリスト、ジョニー・グリーンウッドまで、「才あるものは道具選ばず」などと言われます。今日は「道具」についての書き付け。

最も身近で、現代的な道具といえば「携帯電話」。10年前は「ポケベル」が主流で、放課後、己もよく女の子に付き合って、彼女の公衆電話での高速プッシュを見ては驚愕していました。正直申し上げて、どうも携帯電話には馴染めません。今年になるまで持ってなかったのだもの。

携帯電話というものがビジネスマンのツールから、いよいよ世間一般に浸透しようかというとき、TVで流れていた某電話会社のCMでは、これから携帯電話を広めていく世代をアピールするべく、「塾帰りの小学生」の画などが使われていたのを思い出します。

■ YOMIURI ONLINE - 「小中学生には携帯電話を持たせない」報告書に明記
それが結末としてこういう事態になっているわけですね。

純粋に防犯用として持たせている親のほうが多いと思うのだけど、
「必要性がそれほどあるとは思わない。むしろ有害情報の心配をした方が良い」という福田首相のコメントはいかがなものか。有害なサイトの閲覧が危険で、それらを如何に見せないようにするための話が「持たせない」という結論に至ったのならば、教育再生懇談会ってどういう思考の集まりなのだろうと疑問に思う。勿論、会がまとめた報告書が国に上がって、どういう形になるのかはこれから先の話だけれど。

技術的に「見せない」ように制限をかける機能、そういったプロセスって難しいものなのでしょうか? 確かに、コンビニで売っている「成人向け図書」と同じという訳にはいかないからな。

己の世代はちょうど「校内暴力問題」「偏差値問題」と「ゆとり教育導入」の境であった。
便利さを求めた最先端の道具が引き起こしたものなのか。人の心が細く弱くなり、無痛覚症的な暴力性が表面化してきたのかとも思う。当時からは想像できない時代になってしまったものだ。

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