ある日、退屈な言葉たちが音を殺していくのを僕は見た - [naku-yoru] :: DIARY
September 21, 2007

ある日、退屈な言葉たちが音を殺していくのを僕は見た

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シネテリエ天神でたった2週間だけの上映。先日見てきました、「Screaming Masterpiece」。
■ 映画「Screaming Masterpiece」公式サイト
screamingmasterpiece.jpg

というわけで、今更Sigur Rosが大回転中。彼らのニューヨークでのライヴが、映画の冒頭と終盤に1曲ずつ挿入されているのだけど、あれ良いねぇ。ライヴは、TVでしか見たことなかったけど。映画はドキュメンタリーという点でも、音楽映画という点でも、とてもすばらしい内容でした。あの映画館は相変わらずガラガラだったけど、あれは初日だったらコミコミだったの? 日本盤のDVDが出たら買いましょう。

その映画に挿入されていた曲、「Untitled 08」はSigur Rosの「( )」に収録されていて、特にこのアルバムに顕著なのだけれど、一般的に言う歌詞というものはなくて、ヨンシーはただ「ゆさー」とかなんとか、意味の取れない造語を歌っている。それが、スロウコアと評されるSigue Rosの音楽の良さを高めていることに異論は少ないと思います。

美しい音、良い響きを聴くにつけ、やはり己の中では「音楽の本質は音に宿る」という真理がより存在を増してくるのであります。というのも、少し前に、Shady Bardの1stアルバム「From The Ground Up」を購入し、ブックレットを読んでいたときに感じた違和感。中の文章にはこうありました。「様々な環境問題をテーマ掲げた1stアルバム「From The Ground Up」と共に(中略)、バンド活動全体を通じて環境問題に取り組んでいる真摯な姿勢は、本作で見事なまでにサウンドとリンク。ここには、何物にも代え難い、眩いばかりの情熱が鳴り響いている。」(source:Amazon.co.jp)

環境問題への取り組みと楽曲がリンク・・・してるのか? できるもんなのか?
この解説では、同じく環境問題とテーマにしているということで、己がRadiohead、Tortoiseの次に身銭を切ってかまけている、British Sea Powerが引き合いに出されていて、そこにも若干「??」。

作詞者が歌詞に日頃感じていることを書き表すことは否定しません。なにより、その歌詞こそが音楽の「個性」を決めるのですから(対して、音は「印象」といったところでしょうか)、怒りでも悲しみでも愛でも絶望でも何でも好きなように盛込めば良いのです。
音楽というのはメロディに乗せて、相手に気持ちを伝えるもの、そして古くは口伝。音があって、そしてその後に歌詞がついてくる。
結論。表現者が音楽という手段を選択した以上、その歌詞はあからさまな訴えであるべきでないし、そうならないように注意することこそ肝心なのかなと己は思う訳で。

「訴え」に陥りそうなところを、如何に工夫し、時にはユーモアを吹かせつつ、時には皮肉のスパイスを加えつつ、婉曲的にかつピンぼけしないように、音にふさわしい響きを持った「歌い言葉」にする技術。それこそソングライティングの才能というのでしょう。
凝った歌詞を「サッドスチューデントの御用達」と嫌う人々もいるのだそうですけど、だって、アーティストなのでしょう?ねぇ。

「環境問題」と「音楽」だなんていうと、それこそ真っ先にトムくんの「The Eraser」がでてくるのだけど、その時期のインタビューでよく言ってた「楽曲の音と歌詞の力関係」についての彼の意見には、多いに賛同できるところだ。


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